大津の義仲寺
大津市馬場
木曽義仲が木曽で挙兵したとき、山吹といふ名の木曽の女が女兵として従った。山吹はふとしたことから義仲の寵愛を受けることになったが、義仲は京を制圧してからは都の女に溺れるやうになり、山吹は身も心もやつれるばかりだった。義仲一党は京に五ヶ月ゐただけで都落ちとなり、病床の山吹もひとり都を後にしたが、大津まで来て息絶えたといふ。
○木曽どのをしたひ山吹ちりにけり
○木曽殿と背中あはせの寒さかな 芭蕉
◇
○さゝ波や志賀の都はあれにしを、むかしながらの山さくらかな 平忠度
○春がすみ志賀の山越えせし人にあふここちする花桜かな 能因