大津の義仲寺

大津市馬場

 木曽義仲が木曽で挙兵したとき、山吹といふ名の木曽の女が女兵として従った。山吹はふとしたことから義仲の寵愛を受けることになったが、義仲は京を制圧してからは都の女に溺れるやうになり、山吹は身も心もやつれるばかりだった。義仲一党は京に五ヶ月ゐただけで都落ちとなり、病床の山吹もひとり都を後にしたが、大津まで来て息絶えたといふ。

 ○木曽どのをしたひ山吹ちりにけり

 ○木曽殿と背中あはせの寒さかな                 芭蕉

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 ○さゝ波や志賀の都はあれにしを、むかしながらの山さくらかな   平忠度

 ○春がすみ志賀の山越えせし人にあふここちする花桜かな      能因