法界坊

彦根市

 近江国彦根の上品寺の住職の子に生まれた法界坊は、八つのときに父に死なれ、諸国へ修行の旅に出た。十年後に故郷に戻ってみると寺は荒れ放題、再建のための寄付金集めに再び旅に出た。江戸では新吉原、扇屋の遊女・花里がこの若いお坊さんの志に感銘し、廓内の寄付を取りまとめてくれた。花里は志半ばで他界したが、(いもうと)の花扇が残りを集め、立派な釣鐘が完成して、法界坊はそれを持って寺へ帰った。数日後、法界坊の夢に花里が現はれ、朝起きると枕もとに観音像が置かれてゐたといふ。

 ○はれの間や浅茅ヶ原へ客草履                  遊女花里