藤原千方の反乱

一志郡

 天智天皇の御代に、伊賀・伊勢の二国で、藤原千方(ちかた)が反乱軍を起した。千方は、金鬼、風鬼、水鬼、蔭形といふ四鬼(四人の怪人)を配下に、都などでも変幻出没を繰返し、朝廷も手をこまねいてゐた。そこで紀友雄が勅命を戴いて当地に赴いた。

 友雄は、和歌を書いた紙を矢につけて射たといふ。

 ○土も木も我が大王の国なるを、いづくか鬼のすみかなるらん   紀友雄

 すると四鬼はこれを読んで、己が住むべき国ではないと、たちまち本物の鬼に化生して、奈落に落ちたといふ。その穴の跡は今も四つ残ってゐて、四つとも風が吹き抜け、どこかでつながってゐるらしい。今の名賀郡青山町付近だといふ。

 首謀者の藤原千方は、家城(いへき)(白山町)付近の雲出川の岸の岩場で酒宴をしてゐるところを、対岸から紀友雄に矢で射られて死んだ。千方は首を切られ、その首は川を遡って、川上の若宮社(前出)の御手洗に止まったので、若宮八幡宮にまつられたといふ。

 この地方では節分に「鬼は外」とは言はない。鬼は人と神の仲取り持ちをする眷族とされるからで、伊勢・伊賀地方では鬼に関はる行事も多いといふ。