藤原千方の反乱
一志郡
天智天皇の御代に、伊賀・伊勢の二国で、藤原
友雄は、和歌を書いた紙を矢につけて射たといふ。
○土も木も我が大王の国なるを、いづくか鬼のすみかなるらん 紀友雄
すると四鬼はこれを読んで、己が住むべき国ではないと、たちまち本物の鬼に化生して、奈落に落ちたといふ。その穴の跡は今も四つ残ってゐて、四つとも風が吹き抜け、どこかでつながってゐるらしい。今の名賀郡青山町付近だといふ。
首謀者の藤原千方は、
この地方では節分に「鬼は外」とは言はない。鬼は人と神の仲取り持ちをする眷族とされるからで、伊勢・伊賀地方では鬼に関はる行事も多いといふ。