松阪の一夜

松阪市

 本居宣長は伊勢松阪の木綿問屋に生まれたが、十一歳で父を亡くし、医学を志した。小児科を開業するかたはら、賀茂真淵らの歌学や国学にも親しんでゐた。宝歴十三年(1763)に、松阪の旅館に真淵を訪ねたことは、「松阪の一夜」として知られる。このとき既に万葉研究の業績をあげてゐた真淵は、宣長に古事記の研究を強くすすめた。以後三十五年をかけて『古事記伝』が完成される。古来の日本のこころを窮めようとした学問は、国学と呼ばれた。寛政二年に還暦を迎へた本居宣長の歌。

 ○敷島の やまと心を人問はば、朝日に匂ふ山さくら花      本居宣長

 宣長は享和元年に没したが、前年に遺書をしたため、墓地は伊勢湾を東に望む山室山とし、葬式の細かなやりかたまで書き記してあったといふ。

 ○今よりは、はかなき世とは嘆かじよ。千代の棲家を求め得つれば 本居宣長

 ○なきからは何処の土に成りぬとも、魂は翁のもとに往かなむ   平田篤胤