織田信孝

知多郡美浜町野間

 本能寺の変ののち、信長の後継争ひに敗れた織田信孝は、羽柴秀吉に追ひ詰められ、岐阜城を捨てて、尾張の内海を経て野間まで敗走して、辞世の歌を残して自刃した。(天正十一年)

 ○昔より主をうつみの野間なれば、報いを待てや。羽柴ちくぜん   織田信孝

 野間は、源義朝が逆臣の長田親子に殺害された地でもあった。信孝が割腹して腸を投げ付けたといふ掛軸は、梅の花を描いたもので、安養院に伝はるといふ。

 ○主を切り聟を(ころ)すは美濃尾張(身の終り)昔は長田今は山城

(長田=長田長致は女婿の源義朝を謀殺した。山城=斎藤山城守道三の国盗りを指す)