吉崎 肉づきの面

坂井郡金津町 吉崎御坊

 越前国は、吉崎(板井郡金津町)に蓮如上人が吉崎御坊を建てて以来、一向宗(浄土真宗)の盛んな土地柄となった。

 むかし吉崎の近くの村に、(きよ)といふ百姓の妻がゐた。夫の与三次や子に先立たれ、与三次の母と二人暮しだった。いつの頃からか、蓮如の教へを受けて吉崎御坊に通ふやうになったが、老母はそれが面白くない。母は嫁をおどして信心を止めさせようと考へ、先祖伝来の鬼の面をつけて、吉崎へ出かける嫁を、途中の竹薮で待ちかまへてゐた。嫁は突然に現はれた鬼女を見て、怖れおののいたが、じっと心を静めて、言葉を口ずさんだ。

 ○()まば食め。喰らはば喰らへ。金剛の他力の信は、よもや食むまじ

 さうして念仏を唱へながら、吉崎へ向かった。

 家へ帰った老母は、鬼の面をとらうとしたが、顔にぴったり付いて離れない。悔いてどこかへ隠れようにも足は動かず、我が身を恥ぢて自害しようにも手は動かず、ただ苦しんでゐた。そこへ嫁が帰ってくると、母の姿に仰天したが、とっさに一部始終を理解し、母に念仏をすすめた。母はその通りに「南無阿弥陀仏」の念仏を唱へると、面ははがれ、手足も動くやうになったといふ。それ以来、母も上人の教へを受けるやうになったといふ。面は上人に預けられ、今も吉崎の願慶寺(他の寺ともいふ)にあるといふ。