東尋坊

坂井郡三国町

 越前の平泉寺(勝山市)に、東尋坊といふ乱暴者の悪僧がゐた。西方浄土といふ教へに背き、「我は東方を尋ねん」と言ひ、東尋坊と名告った。他の僧との争ひも絶えず、養和二年(1182)に、武術の達人でもあった僧の覚念に、海辺の崖から突き落とされて死んだ。東尋坊の怨みは様々な怪異を引き起こしたが、ある僧が海に歌を投げ入れると、怪異は治まったといふ。

 ○沈む身のうき名をかへよ。法の道。西を尋ねて浮かべ後の世

 平泉寺は白山社の別当寺の一つだったが、一向宗の拡大とともに衰退し、今は白山社のみが残る。

 ○野菊むら東尋坊に咲きなだれ                  高浜虚子