佐々成政

富山

 天正のころ、越前越中の一向一揆の鎮圧の功績を織田信長に認められ、富山城主となった佐々成政に、早百合といふ愛妾があった。あまりの溺愛ぶりに他の側女たちが嫉妬し、早百合と家臣の岡島某とが密通したとの噂を宣伝した。これを聞いて怒り狂った成政は、二人を神通川(磯部町)の榎に逆さ吊りにして斬り殺した。早百合の怨霊は国中をさまよひ歩き、立山の黒百合の花となったといふ。

 成政は、本能寺の変の後、秀吉に従ふことをよしとせず、三河の徳川家康に同盟をはたらきかけるために、冬の立山を越えて三河に赴いたが、成果はなかったやうだ。

 ○みすず刈る信濃路さして一百騎、佐々成政の越えし峠か      川田順