望月の駒

北佐久郡望月町

 名馬の産地だった望月の里の長者の娘に、生駒(いこま)姫といふ美しい娘があった。十三才のとき、姫は采女(うねめ)として京へ召されることになった。さう決まって以来、姫の愛馬の月毛(つきげ)の駒は、何も食べずに痩せ衰へて行った。見かねた長者は、一時の間に七牧を三度巡ることができたら、姫と馬でどこぞの山ででも暮らすが良いと言った。すると駒は疾風のやうに走り出して半時の間に二周し、三周目にかかったころ、驚いた長者は偽りの時の鐘を鳴らした。そのまま月毛の駒は帰らず、姫の姿も消えてゐたといふ。

 ○むかしより変らぬ顔をうつしきや、月毛の駒の旅の道芝      浅井洌

 これに似た話は、東北地方ではオシラサマの話になってゐて、死んだ姫と馬が翌朝桑の木に登って蚕になったといひ、養蚕の起源の話になってゐる。