姨捨山

更級郡

 昔ある男が、母親同様に面倒を見て来た老いた姨(乳母)を、妻に責め立てられて、山に捨てた。家に帰って、姨捨山から昇る月を見ると、悲しみがこみ上げて歌に出た。

 ○わが心なぐさめかねつ。更級や、をばすて山に照る月を見て    大和物語

 男はさっそく姨を連れ戻したといふ。この姨捨山は更埴市の冠着山のこととされ、山麓の長楽寺で詠んだ芭蕉の句もある。

 ○おもかげや姨ひとり泣く月の友                 芭蕉

 吉田東伍は、姥捨山は長野市笹ノ井塩崎長谷の長谷寺の裏山の長谷寺山のこととする。この山は古くは小長谷(をはつせ)山といひ、ヲハツセがヲバステに転じたといふ。ハツセは古代の葬地を意味し、大和の初瀬(はつせ)も同様であった。

 ○事しあらば小初瀬山の石城にも、(こも)らば共に、な思ひ。わが夫   万葉集

 姨捨山は、かつての葬場であった記憶と、大陸の説話が結び付いたものらしい。風習としての「姥捨」は日本にはなかったやうだ。