井伊谷宮
引佐郡引佐町井伊谷
引佐郡は、南北朝のころ後醍醐天皇の皇子・宗良親王の東国での拠点の地であり、また終焉の地ともいふ。興国元年(1340)に
○富士の嶺の煙を見ても君問へよ。浅間の岳はいかが燃ゆると 宗良親王
引佐町に親王をまつる井伊谷宮があり、墓廟には龍潭寺が建てられた。
引佐郡は、南北朝のころ後醍醐天皇の皇子・宗良親王の東国での拠点の地であり、また終焉の地ともいふ。興国元年(1340)に
○富士の嶺の煙を見ても君問へよ。浅間の岳はいかが燃ゆると 宗良親王
引佐町に親王をまつる井伊谷宮があり、墓廟には龍潭寺が建てられた。