小夜の中山 夜泣き石
榛原郡金谷町
東海道の
○甲斐が根をさやにも見しか、けがれなく横ほりふせるさやの中山 古今集
南北朝のころ、ここで小夜姫といふ身重の女が、山賊に殺された。山賊は北条氏の残党だともいふ。小夜姫は息を引き取ったが、生まれた子は石の上で夜泣きしてゐたところを、近くの里人に発見された。里人に養育された子は、十三の年に出家したが、「命なりけり、さやの中山」と口ずさみながら諸国をめぐり、池田の宿で、母の仇討を遂げたといふ。
○年たけてまた越ゆべしと思ひきや、命なりけり、さやの中山 西行
その石は、夜啼き石と呼ばれ、久遠寺境内、または東海道沿ひにある石をいふ。近くの夜泣き松は、樹皮が子供の夜泣きに効き目があるといふ。