八丈島の為朝

 むかし八丈島は「女護(にょご)が島」ともいひ、美人ばかりが住む島だった。島の女たちは、年に一度、南風の吹く日に、それぞれの作ったわらぞうりを南の浜に並べた。南風に乗って青ヶ島から男たちが渡って来て、そのぞうりをはくと、ぞうりには女たちの印がついてゐて、女は自分のぞうりをはいた男を一夜夫に迎へたのである。

 ○南風だよ皆出ておぢゃれ。迎へぞうりの紅鼻緒         八丈しょめ節

 男たちは明くる日には「男島」とも呼ばれた青ヶ島へ帰っていった。八丈島は女だけの島だった。むかし島に漂着した先祖たちが、海神のたたりを恐れ、男女別々の島に住んだのだといふ。

 保元の乱に敗れた源為朝は、追手を逃れて諸国を渡り、八丈島に着いた。為朝は島の女と結婚して男子の双子が生まれた。このときから、男女の同棲が始まったといふ。

 まもなく追討の軍船がやってくると、為朝は小島(八丈小島)に渡った。八丈実記によると、敵を待つ間に為朝が卯の花を折り挿した地を宇津木村といひ、鳥を飛礫(つぶて)打ちにした地を鳥打村といふ。為朝が詠んだ歌がある。

 ○梓弓、手にから巻いて、いたづらに敵を待つまぞ久しかりける   源為朝

 為朝はこの地で壮絶な最期をとげ、宇津木村の八郎大明神にまつられた。