稚児が淵
藤沢市江の島
むかし鎌倉の建長寺の自休和尚は、弁才天に願掛けに行った折り、美しい稚児を見初めた。鎌倉相応院の稚児で、名を白菊といった。それ以来、和尚は白菊のもとに毎日のやうに通ひつめた。和尚の愛を受け入れる白菊だったが、思ひ悩んだ末、江の島の南岸の淵に立ち、歌を残して身を投げたといふ。
○白菊をしのぶの里の人問はば、思ひ入り江の島と答へよ 白菊
○うきことと思ひ入り江の島陰に捨つる命は、波の下草 白菊
白菊の死を知った自休和尚も、辞世を残してあとを追った。
○白菊の花の情けの深き海に共に入り江の島ぞ嬉しき 自休
以来、この淵を稚児が淵と呼ぶやうになったといふ。