北海道

オホツクのモヨロの浦の夕凪に、去にし世しのび、君と立つかな  金田一京助

神威岬

積丹半島

 ○忍路(おしょろ)、高島、及びもないが、せめて歌棄(うたすつ)磯谷(いそや)まで   江差追分

 船で日本海を北上すると、積丹半島の先に忍路、高島(現小樽市)がある。むかしはこの半島から先は、和人の女は行くことができなかったといふ。だからせめて半島の手前の歌棄、磯谷まで一緒に居たいと、歌に詠まれた。

 むかし積丹半島には、源義経が、弁慶ら数名の家来とともに奥州から落ち延びて来たともいふ。義経はアイヌの村で、狩りや畑作の技術を教へ、村人からも尊敬された。三年を過ごすうちに村長の娘のシャレンカと夫婦の契りもした。だが武士の生れの義経は、平和な暮しに満足できなかったやうで、家来らとともに蒙古へ向けて船出して行ったのである。別れを嘆き悲しむシャレンカは、半島の先の神威岬から海へ身を投げた。「和人(シャモ)の女にだけは義経を渡したくない」といふシャレンカの恨みのため、この岬から北へは、和人の女は通れなかったのだといふ。



シャクシャイン

日高支庁静内郡

 アイヌと和人の交易は、古くは対等の関係でなされたものと思はれる。しかし室町以降、ちょうど欧州が大航海時代に入ったころから、和人側は不平等な交換を強要するやうになって行った。和人はアイヌの漁場へ侵入した上に、アイヌを労働力とする漁場経営も進められた。一方アイヌ自身は、民族としての統一国家は持たず、河川流域ごとに狩漁を生業に集落を作って暮らし、集落ごとに和人と交易をしてゐたつもりであった。

 江戸時代に入り、日高地方の染退川に砂金が発見されると、松前藩は大規模な採取を開始した。派手な街ができ、商人たちがなだれこんで、アイヌの物産への収奪も度を極めて行った。ここへ来て日高地方のアイヌにとっては、民族存亡の危機を迎へてゐたといへる。複雑な商関係によりアイヌどうしの戦ひも少なくなかったが、寛文九年(1669)、この地方のアイヌの巨酋、シャクシャインは、二千余のアイヌを率ゐて松前藩に戦ひを挑んだ。しかし近代兵器の前に敗れ、松前藩は遠く襟裳岬の果てまで一味を追撃して北の海を血で染めたといふ。アイヌの最後で最大の反乱といはれる。静内郡静内町真歌山に歌碑がある。チャシとは自然の地形を利用したアイヌの砦のこと。

 ○大きチャシ蝦夷のいくさのをたけびの歴史をここに空は素蒼し  小田観蛍



ローソクもらひ

 北海道の村の子供たちは、八月七日(または七月七日)の夕方に集り、竹に短冊と灯籠をさげて持ち、笛太鼓で囃し、歌ひながら村の家々を巡ってローソクをもらふ。

 ○竹に短冊、七夕まつり、大いに祝はう、ローソク一本ちょうだいな

 ○今年ゃ豊年七夕祭り、ローソク出せ出せよ、出さないとひっかくぞ、

   寝てもさめても()ねうち(うご)がね

 現在ではローソクの代りに菓子などをもらって歩く地域もあるといふ。青森のねぶた祭によく似た行事だが、かうした子供による灯籠や火祭りなどの盆迎への行事は全国各地で行なはれて来た。近年の振興住宅地などで盛んな夏休みの子供の神輿の行列なども、昔の盆迎への行列の面影があるやうにも思へる。



十勝の国石狩川の上流

 香具師の口上を二種かがげてみる。

【ろくろ首の見せ物】 皆さんがた、可哀さうなのはこの子でこざい。この子の生まれは北海道、十勝の国石狩川の上流で生まれまして、ある日のこと、お父さん鍬にて蝮の胴体真っ二つ、蝮の執念子に報いましてできた子供がこの子でござい。当年とって十八才、手足が長く胴体に巻き付くといふ……

【万年筆売り】 ……今まで日本には三大万年筆と称しまして、高価なお金を出さなければ買へない万年筆がたくさんございました。二円も三円も出して小学校の子供さんにあてがったこの万年筆。ペン先が折れた欠けたでは絶対に使ひみちにならない。今までのお使ひになりました万年筆は金ペン。イレジウムを忘れてをります。これが折れた欠けたでは何にも使ひみちにならない。この不便をとるために、神田の工学博士キタムラヨシヲ先生が、北海道十勝の国、石狩川の上流に研究所を設けまして、三年八ヶ月といふながーい間、研究いたしまして、六方石に蛍石の粉末合成一二〇〇度以上の熱をこめまして引き延ばしましたる硬質ナトリウムペン、どんなに乱暴にお書きになりましても、急いでお書きになりましても、ペン先が折れたり欠けたりすることがない。……

 (以上、坂野比呂志の実演レコードから起して引用)

 明治二年に北海道十一か国が定められ、北海道中央の石狩岳を境にして十勝国と石狩国ができた。石狩川は石狩岳の北に発して、大雪山を左に見て北流し、西に向きを変へて旭川へ流れる。川の水源地は大雪山の東南の十勝寄りにあたるので、その場所は十勝の国と意識されたのかもしれない。北の国の山奥といふ類型的なイメージとしては歌枕のやうなものである。また上流の水源地での蛇と金属精練の話には、何か古い信仰の影を見ることができる。



諸歌句

【函館五稜郭】

 ○その跡やその血の色を竹の花               巌谷小波

【函館】

 ○東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる    石川啄木(墓碑)

【白老浜】 苫小牧の西

 ○アイヌの子もともにしゃがみて海を見る白老の浜の夕暮の波 佐々木信綱

【旭川 神居古潭】

 ○たぎつ波ましろうしろう岩に散る神居古潭の曇れる真昼   九条武子